onomasakariのブログ

マサカリ待ってます

アクセス数が少ないのに炎上を恐れる自意識過剰な豚

このブログを開設して雑な記事1つを投稿するのにかかった時間とアクセス数の少なさについて思ったことを無駄に語る。

Googleでメールアドレス作成:20分くらい

すぐに思いつくユーザー名はことごとく既に使用されていて新しい名前を考え出すのに時間がかかった。

記事執筆:20分くらい

IT系の技術記事を書こうと思ったけど参考資料を探しているうちに公式ドキュメントのURLを貼ればいいじゃんと思って時間をかなり節約できた。

記事公開:40分くらい

公開自体はメモ帳の下書きをコピペして公開ボタンを押すだけで終わりなんだけどタイトルの設定や背景画像の選択やその他いろいろな設定をひと通り調べたり試したりするのに時間がかかった。

アクセス数が少ない

あの記事を見ればそりゃそうだろうと思うけど前回の記事のアクセス数は片手で数えられるくらい少ない。このアクセス数では他人がアクセスしているかどうか怪しい。まちがえてブックマークをタップして自分でこのブログにアクセスしたこともあるし。他のサイトのURLを前回の記事に貼り付けたけど他のサイトを検索で探し当てる人は記事タイトルを見てアクセス回避しただろう。暇つぶしならともかく何か技術的なことを調べるために検索していたらあのタイトルではだれもアクセスしようとは思わないだろう。働いている人は店員のいらっしゃいませを無視しYouTube広告をスキップし睡眠時間を短くし自分にとってもっと重要なことに時間をさくため目の下にクマを作るほど忙しいのだ。そんなこと分かっている。分かっているけれども悔しい。いや悔しくはない。なんだろうこの気持ち。そうまるで近所をぶらぶらと散歩していたときと同じ気持ちだ。特に用事もない散歩は客観的に見ても自分で後から振り返って見てもよくも暇なものだと思う。しかし当人からしてみれば散歩は運動不足の解消にもなるし日々変化していく街の様子に気付くこともあるし気付かないこともあるしぼーっと歩き回っていつの間にか家の前に戻っていることもある。新しいブログを開設して記事を投稿するまでの過程はさながら引越し先ではじめて近所を散歩するときと同じだ。歩き方は分かっている。道路交通法もだいたい分かっている。どの道を選べば家に戻れるかも分かっている。文章の書き方は分かっている。著作権法も少しだけ分かっている。どの機能を使えば記事を投稿できるかも分かっている。他人からのアクセスとコメントが無いのは散歩をして誰からも話しかけられなかったときと同じだ。悔しいとは思わない。虚しいとも思わない。コミュニケーションが無かった。ただそれだけ。少し文章力を発揮して脳トレをしたのと同じだ。ボケ防止だ。文章を考えたりブログの設定を変えたりしていたときは他のことを考えなかった。ぼーっと作業に没頭していた。ストレス解消にもなったかもしれない。散歩した後に残る足跡は雨が降れば消える。ブログを作った後に残る記事はサーバーが壊れれば消える。散歩しているところを誰かに撮影されていれば記録が残るだろうし、ブログは誰かがスクショしたり魚拓を取れば残る。散歩とブログは同じかと一瞬思う。でも違う。散歩とブログは違う。散歩は生配信していない限り全世界の人に見られるわけではないがブログは公開された瞬間からいつでもだれでも読めるのだ。それなのにアクセスが無かった。コメントが無かった。世界からの反応が何も。無かった。これはすごい。見よ。これが現実だ。自意識過剰で遠慮してばかりで傷つくことを恐れる全世界の豚よ(※ここではomomasakari自身を指す一人称として「全世界の豚」を用いている)。お前たちが汚い前足でメモ帳に塗りつけた文様になど誰も興味を持たないのだ(※ここではomomasakari自身を指す一人称として「お前たち」を用いている)。だから安心してブログを書け。いやこれは嘘だ。論理の飛躍があった。ただあの記事のタイトルに読ませるだけの魅力が無かっただけだ。素人でも導火線となるタイトルをよくひねって考えて可燃性の記事を作って公開すれば瞬く間に燃える。ネット上の空気にさらされれば自然発火する立派な第三類危険物のできあがりだ。消防法みたいに火災を予防し警戒し及び鎮圧し国民の生命身体及び財産を火災から保護するとともに火災又は地震等の災害による被害を軽減するほか災害等による傷病者の搬送を適切に行いもつて安寧秩序を保持し社会公共の福祉の増進に資することを目的とするようなルールがブログには無い。見つからない。誰か教えて。ギリギリを攻めたい。終わり。